先日、「バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び」というドキュメンタリーを見ていて、バレーに関するエピソードを書いておきたくなりました。
小学生のころ、あのかわいいチュチュ(イメージだと薄いピンクとか白のもの)を着て踊っているイメージに夢を膨らませて、近所のバレー教室に、お友達と母も一緒に見学に行ったことがあります。
練習の時にチュチュを着ていないのは、仕方がないとして、私が観に行ったバレー教室は、みんな肌色のレオタードを着て、練習をしていました。私はそれがとてもショックで、一瞬にして夢が壊れて、私も友人も全然バレーが習いたくなくなってしまったのを覚えています。
そんな風にあっけなく、バレーを習うことをあきらめてしまったのは、今思うと、とても残念ですが、子供心には充分の理由だったのでしょうね。
帽子の習う前に、洋服を作る学校に通っていました。学生時代に友人と、インスタレーションをしたことがあるのですが、その時に作ったものは見かけは帽子だけど、出来上がってみたらかぶることができない代物でした。帽子をどうやって作ったらいいのか本当に知らなかったのです。
当時は、あるコスチュームアーティストの方の作品にとても影響を受けていて、漠然と、自分もそのようなものづくりがしたいと考えていました。時々、お手伝いをさせていただいていたのですが、アトリエで働いている人の中に、どんな帽子でも作ってしまう人がいて、どうやったら、あんな帽子を作ることができるんだろう、私も技術を学びたいなあと、今思えば、単純ですが、帽子教室に通いだしたのです。何か技術をきちんと身につけなければ、仕事にするのは難しいなあという焦りもありました。